La visita a las colonias japonesas: Duverge y Neyba
10 de julio, 2010
7月10日、ドミニカ共和国南西部のドゥベルへとネイバという町にある日本人移住地跡を訪ねました。この国に8か所ある日本人移住地のうちの2つです。 朝7時にJICA事務所へ集合し、2台の車へ南西方面へ。海沿いを走りぬけて3時間半、ひとつめの視察地、ドゥベルへに到着しました。(具体的な場所は下のビデオ、または記事末尾のリンクlocationを参照ください。)
ドゥベルヘ
このドゥベルへの日本人移住地は、町の中心から少し離れた所にありました。乾燥した空気の中に、移住者の当時の家が整然と残っています。この家々には今では現地の人が住んでおり、地元の人がかつて住んでいた移住者の記憶を話してくれました。
ドミニカ共和国への日本人移住は1956~1959年に実施されましたが、ドゥベルへの移住は1957 年に第一次、第二次、そして1958年に第三次移住が実施され、計37家族155名がこの地に到着しました(高橋1987:78)。しかし、ここの土地は塩分を多量に含んでいたうえ、約束された水路の整備も実現されず、移住者たちは満足した農業を営むことなく1959年により内陸のハラバコアへの再移住を余儀なくされたそうです(今野・高橋編1993:39-40)。
ネイバ
私たちはドゥベルヘを後にして、ここより少し北に位置するネイバへ向かいました。ネイバの移住地はドゥベルへよりも比較的緑の多い土地にありましたが、ここでも移住者たちには想像を絶する苦労が待っていたようです。
ネイバへの移住は1957年に第一次、1959年に第二次が実施され、移住者は計24家族87名(高橋1987:78)。この地への移住は当初野菜栽培を目的にされたものでしたが、石ころだらけの土地では野菜を育てるどころではなかったそうです(今野・高橋編1993:35-40)。試験的にブドウ栽培を始めた移住者もいたようですが、この地から大使館や海協連(日本海外協会連合会、当時移住事業を扱っていた団体で現在のJICAの源流)への訴えの声があがったということです。こうして実現されたのが1961年の集団帰国です(高橋1987:96)。
このネイバ移住地にも日本人はもう住んでいませんが、わずかにブドウ栽培の様子を見ることができ、今ではブドウ栽培の地として知られているようです。
参考文献:
今野敏彦・高橋幸春編(1993)『ドミニカ移民は棄民だった―戦後日系移民の軌跡―』明石書店
高橋幸春(1987)『カリブ海の「楽園」―ドミニカ移住三十年の軌跡―』潮出版社
次のビデオは語学研修の最終発表会(
7月26日)のために作成した視察報告です。スペイン語のみですが、移住地の写真を見ることができます。
corrección: De la página ocho, los que imigraron de nuevo a otros países no fueron 33 familias, sino 70(Konno y Takahashi 1993:27).
JICA事務所よりブログ公開の許可をいただきましたので、改めてブログをスタートします。載せて欲しい情報やトピック等ありましたらコメント欄にお願いします!(公開2010/08/02)