21 December 2010

第一回ドミニカ共和国スピーチコンテスト 2010/11/14

Primar concurso de oratoria del idioma japonés
14 de noviembre, 2010
 11月14日、首都サントドミンゴのAPEC大学で「第一回ドミニカ共和国スピーチコンテスト」が行われました。このスピーチコンテストは、ドミニカ共和国で日本語教育を実施している3つの機関、すなわち、APEC大学、日本ドミニカ文化センター、日本語学校が一緒に参加するドミニカ共和国全体のスピーチコンテストです。今回、青年海外協力隊としてAPEC大学で活動している日本語教師が中心となって、国際交流基金、JICAの協力を得て初めて実施されました。                       部門は、暗唱部門、グループ部門、スピーチ部門の3つです。日本語学校からは、10月に日本語学校で行われたスピーチコンテストの優秀者を中心に参加しました。暗唱部門に3人、スピーチ部門に4人参加し、両方の部で入賞することができました!他の学校も合わせて全部で約40名が参加し、「じゅげむ」を暗唱したり、「おおきなかぶ」を劇さながらにグループで表現したり、戦争やテクノロジーについてのスピーチをしたりと、多彩な発表を繰り広げました。
同じサントドミンゴにあっても、ふだん他の日本語教育機関とはなかなか交流の機会がありませんが、このように同じ舞台に立つ経験は日本語学校のみんなにとっても大きな刺激になったことと思います。

19 December 2010

ドミニカ共和国日本語学校スピーチコンテスト 2010/10/23

Concurso oratoria de escuela
23 de octubre, 2010
 10月23日、サントドミンゴ校で日本語学校スピーチコンテストが行われました。各学校を代表して約30名の子どもたちが日頃の学習の成果を発表します。全部で3部門あり、低学年の部、高学年の部、本邦研修の部です。低学年の部では、家族の紹介、詩や物語の暗唱などがありました。サントドミンゴ校1年生の私のクラスでは、「ぼくの/わたしのすきなもの (mis fovoritos)」というテーマでスピーチをしました。高学年の部では、ドミニカ共和国の人々、家族についての作文などがありました。本邦研修の部は、今年の夏にJICAの研修制度で日本へ行った8名の生徒による研修報告をかねた発表です。
実は、このスピーチコンテストは、以前1992年から2005年まで「お話大会」というかたちで開催されており、ここ数年は中断されていました(山内2010)。それが今年の2月に「スピーチコンテスト」として再開され、2010年度は10月開催となったのです。
大勢の人の前で話すのは、みんな緊張した様子でしたが、それぞれの自信につながったことを願っています。また、この日はドミニカ共和国各地から審査員の方や、応援の父母、友だちが集まりました。いつも各校別々に学習を進めているように見える日本語学校ですが、このように一緒に集まって学習の成果を発表する場があることは、意義の大きいことだと思います。

参考文献:
山内かおり(2010)「ドミニカ共和国日本語教育のあゆみ」『継承日本語教育センター研究紀要vol.5』財団法人海外日系人協会継承日本語教育センター、pp.34-40.

18 December 2010

教師研修会・教師打ち合わせ会 2010/10/17

Reunión de profesores 
17 de octubre, 2010
10月17日は、サントドミンゴ校において教師研修会、および、教師打ち合わせ会が行われました。両者とも各地の教師、助手が集まって年に数回実施されるもので、教師研修会では実践報告や授業アイデアの共有、教師打ち合わせ会では学校行事等の準備を主に行います。今回は教師、助手、あわせて14名が参加しました。
午前中の教師研修会では、8月にコスタリカで実施された国際交流基金による「中米・カリブ日本語教育セミナー」に参加した教師、助手による参加報告、続いて、各教師による実践紹介が行われました。サントドミンゴ校で1年生を担当している私は、スペイン語版のひらがなカード、語彙復習のためのすごろく、子どもが自分で作成する五十音カードの3つの実践を紹介しました。ブログでの実践についての詳しい報告は、また回をあらためて書きたいと思います。
研修の後、お昼ごはんを食べて教師打ち合わせ会です。お昼ごはんは、移住者が経営しているレストランのお弁当です(写真)。のりまき、から揚げ、きゅうりとキャベツのつけあわせ、茶碗蒸しです。大変おいしくいただきました。
今回の教師打ち合わせ会は、主に来年1月に予定されている運動会について話し合いました。運動会は、日本語学校関係者だけではなく、学外からも多くの日系のみなさんが参加する大きなイベントです。前回からの変更点を決定し、各教師の競技担当等を決めました。どんな運動会になるのか楽しみです。
(ブログの更新が滞っていました。今年の出来事は年内にアップしたいと思っています。)

28 October 2010

ボランティア活動報告書(第1号)

1er reporte a JICA 

今回は、JICAへの報告書をリンクします。この報告書は、JICAボランティアが自身の活動状況についてJICAへ報告するもので、第1号から第5号まで、赴任後3か月、6か月、12か月、18か月、24か月の時期に作成します。私は、2010年6月にこちらに赴任したので、3か月後の9月に第1号報告書を作成しました。
この報告書の目的は、「(1)ボランティア自身が自己の活動の管理及び評価を行う(2)事業関係者が情報を共有する(3)情報を広く国民へ開示する」となっています(資料p.27、下線筆者)。
報告書は、「ボランティアポータルシステム」というボランティア専用のサイトを通してオンラインで作成し(ネット環境のない地域ではアナログで作成可能)、赴任地のJICA事務所とJICA本部の承認を経て、一般に公開されます。例えば、私が派遣前に訓練を受けた横浜のJICA横浜資料室で閲覧可能です(他の訓練所でも同様のようですが、私はそれ以外に閲覧の方法をまだ知りません)。
今回は、「ボランティアポータルシステム」から送られた報告書のPDFファイルを承認の後Googleドキュメントにupし、下にリンクを貼りました。ご指導、ご感想、ご質問等あれば、コメント欄にお願いします。


参考資料:
『JICAボランティア・ハンドブック 長期派遣 2009年10月改訂版』
(記事掲載2010OCT28 http://volando-por-repdominicana.blogspot.com/

<補足>
補足ですが、ボランティア自身は、過去の報告書、他者の報告書を「ボランティアポータルシステム」によりネット上で自由に閲覧、ダウンロードすることができます。そういう機能が既に準備できているのなら、「情報を広く国民へ開示する」という目的遂行のため、JICA関係機関における閲覧だけではなく、JICAのホームページから自由に誰でも閲覧できるようにしたらよいと思うのは私の意見です。
Googleドキュメントでは文字化けするようになったのでdropboxに変更しました。
その他の報告は「活動報告のまとめ」から。
(補足掲載2010OCT30、追記2013NOV08)

24 October 2010

他校訪問:ハラバコア、ラベガ 2010/09/28-29

Visita a las escuelas del interior: Jarabacoa y La Vega
28 y 29 de septiembre, 2010
9月28・29日は、出張で他校を訪問しました。ドミニカ共和国中央部に位置するラベガ州のハラバコア校とラベガ校です(記事末尾のリンクに地図を示したので、参照ください)。

(1)ハラバコア Jarabacoa
 28日朝サントドミンゴを出発しバスで2時間弱、ハラバコアに到着しました。昼食を食べてから、日本庭園Parque japonésと日本人移住地跡を見学しました。もともとの農業移住地であるハラバコアでは、2007年のドミニカ移住50周年を記念して、日本庭園が建設され、また、ハラバコア市から移住家族の名前の街路表示が贈られました(嶽釜編2009:174-176)。


 



日本庭園は通りの真ん中に位置し、大きくはありませんが、鳥居や移住家族の名前の記された記念碑、灯篭、橋、池などが配置され、趣のある造りになっています。設計デザイナーは、日高玲子さん。移住家族の名前の街路表示は全部で6つあり、それぞれ"CALLE FAMILIA ○○"(○○家通り)と示されています。

 ハラバコアの日本語学校の授業は、この日本人移住地の外れの「ハラバコア友好会館」で行われています。今回は、火曜午後の4人の授業を見学しました。こちらの学校にも日系社会青年ボランティアが配属され授業を行っています。私の所属するサントドミンゴ校とは違って、異なるレベル、異なる年齢の学習者が一緒に学ぶので、ともに学べる協働的な活動を取り入れたり、複式で授業を行ったりと工夫していることがわかりました。


(2)ラベガ La Vega
ハラバコアの授業見学の後、ボランティアの先生と一緒にラベガへ移動しました。こちらの先生はハラバコア校とラベガ校の両方を担当しており、週に数回両校を往復しています。ラベガではホテルで一泊し、翌29日にラベガ校の授業を見学しました。ラベガはもともとの農業移住地ではありませんが、日系の家族が多く住んでおり、日本語学校が開校されています。現在公民館が建設中とのことで、それが完成するまで日系人のお宅を借りて授業を行っているとのことです。この日は9人の学習者が出席しており、低学年と高学年にクラスを分けて、日系人の助手の先生と2人で授業を行っていました。低学年クラスと高学年クラスの協働活動もあり興味深かったです。

今回の他校訪問を終えて、それぞれの学校にはそれぞれのスタイルや方針があるのだということを再認識しました。例えば、父母会との付き合い方ひとつをとっても、サントドミンゴとは異なる面があります。ラベガとハラバコアの間にも違いがあることがわかりました。他の学校を見学するのは、自分の活動を振り返ったりドミニカ共和国全体の視点で日本語学校を捉え直す大変いい機会になったと思います。


参考文献:
嶽釜徹編(2009)『ドミニカ共和国日本人農業移住者50年の道 青雲の翔』ドミニカ日本人移住50周年記念祭執行委員会記念誌編纂委員会

17 October 2010

盆踊り大会 2010/09/18

Fiesta de Bon Odori  
18 de septiembre, 2010
9月18日、日本語学校サントドミンゴ校にて、第15回盆踊り大会が開催されました。この盆踊り大会には、地方からもたくさんの関係者が集まります。そして今回は、なんと遠くブラジルのサンパウロ州アチバイアからドミニカ中央部のハラバコアへ、踊りの先生方が盆踊りの指導に来てくださいました。もちろんサントドミンゴでも踊りを指導してくださいました。
盆踊りの曲目は、炭坑節に始まり、鹿児島小原節、お達者音頭、眞室川音頭、東京音頭、東北音頭などなど。加えて、ハラバコアのみなさんがよさこい鳴子踊りやソーラン節等を披露してくださいました。こんなに盆踊りを踊ったのは初めてです。
出店には、お弁当、お好み焼き、やきとり、アニメグッズ、古着バザー、etc…。日系社会青年ボランティアは、漢字で名前書きますコーナー(書道)と魚つりゲームのコーナーを出しました。
運営側としては反省点も多々ありますが、来年度のよりよい盆踊り大会を目指したいと思います。10月10日に日本語学校運営部員のみなさんや参加した教師による反省会が行われ、今年の盆踊り大会が締めくくられました。

20 September 2010

日本語学校校歌

El himno de la escuela de idioma japonés
今回は、ドミニカ共和国日本語学校の校歌を紹介します。サントドミンゴ校では、土曜授業の朝の会で歌っています。最初は歌詞を見ながら歌っていた新任教師の私ですが、今は生徒の前でちゃんと(?)歌えるようになりました。音痴なので、時々はずしますが。
作詞・作曲は福政康夫さんという方です。ネット上で調べたところによると、以前JICAの派遣によりドミニカ共和国日本語学校の校長を務められた方のようです。

みどりあふれる キスケージャ
わたるかぜは おともだち
大地にのこる 父母の
どりょくと あせを 思いつつ
ぼくらは きょうも 学びあう
ぼくの わたしの 日本語学校

ひかりあふれる キスケージャ
カリブの海も おともだち
大地にえがく 父母の
思いを むねに いだきつつ
わたしも ともに 学びあう
ぼくの わたしの 日本語学校

歌詞の「キスケージャ」というのは、ドミニカ共和国とハイチからなるイスパニョーラ島の先住民タイノ人のことばで、「すべての大地の母」という意味だそうです。つまりは、イスパニョーラ島のことを指しており、ドミニカ共和国の代名詞としても用いられているようです。
この校歌は、私はなかなか素敵な歌詞だと思って気に入っています。ドミニカ共和国への愛と家族への愛、さらには自分のもつ様々なルーツへの愛がつまっていると思うからです。

9 September 2010

青年交流BBQ大会 2010/09/05

Fiesta de jovenes japoneses y nikkeis
5 de septiembre, 2010
  9月5日、日本語学校の校庭で青年の交流BBQ大会がありました。この交流会は、内閣府の「国際青年育成交流」事業によりドミニカ共和国に派遣されている日本人青年と、ドミニカ共和国の日系青年団との交流を目的に開催されたものです。そこに、青年のJICAボランティア(青年海外協力隊と私たち日系社会青年ボランティア)も招待されたのです。
  内閣府青年団は、南中ソーランや「ふるさと」合唱を披露してくれました。
  私はというと、もっぱら日系の人たちと飲んで踊って交流していました。
(記事掲載2010SEP09)

8 September 2010

成人クラス開始 2010/09/01

Iniciación de las clases para adultos
1 de septiembre, 2010
  9月1日より、夜の成人クラスが始まりました!私の担当は、「入門」「初級」「中級」と3つあるうちの真ん中のクラス、初級です。テキストは『みんなの日本語 初級Ⅰ』を使用しますが、前年度からの継続のクラスなので16課より開始です。週1回水曜日、18:30~20:30というスケジュール。学習者は、前年度からの継続が5名と、初回終了後に新たに1名の申し込みがありました。
  初回の今回は、自己紹介とテ形の復習をかねて家族・親戚の紹介をしました(例えば「私の母はダハボンに住んでいます」等)。口頭で話し合いをした後、作文に取り組みましたがみんな熱心に書きました。
  ドミニカ共和国に来て新たに気づいたことは、「継承日本語教育」は年少者だけを対象とするものではないということです。成人クラスの学習者の動機には、「自分の親のことばがわかるようになりたい」「自分の子どもに日本語をおしえたい」というものがあります。20代~40代の日系人のみんながこのような動機のもとに日本語を学ぼうとしていると知ることは、私にとって意味の大きいものだと思いました。
  掲載の写真は、日本語学校に併設されている学生寮です。(記事掲載2010SEP08)

17 August 2010

入学式 & 始業式 2010/08/14

La ceremonia de entrada y la de apertura
14 de agosto, 2010
 8月14日は、入学式、始業式、そして初授業の日でした。今年度の新入生は3人と少ないのですが、編入生も加えて総勢68人の生徒とともにスタートです。私は1年生の担任なので、新入生3人と助手の先生と一緒にトトロの「さんぽ」に合わせて入場。新入生の紹介、父母会長の挨拶、在校生代表の歓迎のことばなどなど。続く始業式では、前年度の成績優秀者に記念品贈呈、各担任によるクラス発表。
 そして休み時間の後に、1時間強で今年度の初授業です。私の担当の1年生には新入生3人を含めて10人が在籍します。今日は、入学式&始業式ということで、朝の挨拶ができること、名前が呼ばれたら返事ができること、クラスメイトを覚えて仲良くなることを目的に授業をつくりました。挨拶や返事は、1年生を継続履修している子がお手本になって新入生もきちんとできました!その後、円になって呼ばれた名前の生徒にボールを投げるという簡単なゲームをしましたが、これがけっこう盛り上がりました。ルールをわかった子がわからない子に説明してあげたり、どの子にボールを投げればいいのか教え合ったり、生徒同士で自然に助け合う雰囲気ができたことがよかったと思います。その後、学校探検をして休憩。
 休憩の後のゲームは、生徒にはルールを理解するのが難しく、反省。教科書のぬり絵はみんな熱心に取り組んでいました(ドミニカ共和国の日本語学校には年少者用のオリジナル教科書があります、後日記述予定)。絵を書いたり色を塗ったりするのはみんな大好きの様子です。
 授業の後は、父母会のみなさんによる私たち新任教師の歓迎会。軽食を用意して保護者がそれぞれ挨拶をしてくださいました。また、保護者のみなさんのなかには9月から始まる成人クラスの学習者もいるので、親子そろって自分の「生徒」になることもあるのです!
(記事掲載2010/08/17)

16 August 2010

新聞記事「日本人のドミニカ共和国到着から54年」 エル・カリベ紙 2010/08/07

'54 AÑOS DE LA LLEAGADA DE JAPONESES A RD' EL CARIBE
7 de agosto, 2010

 8月7日、ドミニカ共和国の新聞EL CARIBE(エル・カリベ)紙の”Aniversarios del mes de agosto(8月の記念日)”という特集記事に日本人移住者の写真が掲載されていました!スペイン語学習をかねて新聞を読むようにしていますが、この記事には興奮!日本人のドミニカ共和国移住に関しては全く日本語の資料のみで勉強しているので、このように現在でも現地の新聞に取り上げられているとは興味深いです。ドミニカ共和国にいる間に移住に関するスペイン語文献を探してみたいと思っています。
 以下、記事全文の訳と原文です。
「日本人のドミニカ共和国到着から54年
トルヒーヨの農業を中心とする移民受け入れ計画(注1)により、1956年7月日本人労働者の第一陣45家族166人が到着し、ダハボンのラ・ビヒアに入植した(注2)。同年12月の写真は、新たな日本人移住者グループが到着した時のものである(注3)。1962年8月10日、日本人移住者らはドミニカ共和国移住6周年を祝った。1971年までに400人以上の移住者がドミニカ共和国に在住している(注4)。1998年8月の移住43周年記念の際、ドミニカ日系人協会会長の日高守さん(注5)は次のように語った。『この年月とともに日本人移住者の組織的な営みには、新しい世代が生まれている。移住者たちは結束固く対立のない、またこの世代であること子孫であることに誇りを持てるような日系人社会を
形成しなければならない。』移住者の多くはドミニカ人との家庭をもち、その子孫らがここドミニカ共和国に生活している。」2010年8月7日『エル・カリベ』紙
 (注1)トルヒーヨは、1930年~1961年のドミニカ共和国の独裁者。ドミニカ共和国のハイチ国境警備のための移民受け入れ政策と日本の人口問題打開のための移民送り出し政策が合致して、1956年~1959年の日本人のドミニカ共和国移住が実現したと考えられています。この辺りはまた改めて書きたいと思います。
(注2)今野・藤崎編著(1994:285)では、入植第1陣は28家族185人。
(注3)時期と人数から見て、おそらくコンスタンサ第2次入植の12家族68人ではないかと思います。
(注4)1956年~1959年の日本人移住者は計249家族1319人で、1961年~1962年に133家族が集団帰国、70家族が南米等へ再移住(今野・藤崎編著1994:286)。ドミニカ共和国に残ったのは46家族(今野・藤崎編著1994:295、直接聞いた話では47家族とも)で、現在の日系人人口は約800人。
(注5)現在は日高守さんのお兄さんが副会長で、私たちの着任式にも来てくださいました。



“ 54 AÑOS DE LA LLEAGADA DE JAPONESES A RD

Según un plan que tenía Trujillo de aceptar inmidrantes para ue se dedicaran principalmente a la agricultura, en julio de 1956 llegó el primer grupo de trabajadores de Japón que correspondió a 45 familias, compuestas de 166 personas, que se asentaron en La Vigía, Dajabón. En la foto de diciembre de ese mismo año, vemos un nuevo grupo de japoneses al momento de su llegada al país. El 10 de agosto de 1962, los inmigrantes japoneses celebraron el sexto aniversario de su asentamiento en tierras dominicanas. Para el 1971, en el país residían más de 400 inmigrantes. Durante la celebración del 43 aniversario, en agosto de 1998, Mamoru Hidaka, presidente de la Asociación de Emigrantes Japoneses, expresó que “esos años marcan la apertura de una nueva generación en la vida organizativa de los emigrantes japoneses, los cuales deberán culminar en la formación de una comunidad japonesa sólida, libre de división y que pueda ser el orgullo para las generaciones actuales y las venideras”. Muchos de los inmigrantes formaron familias con dominicanos y sus descendientes residen aquí.”  
EL CARIBE, 7 de agosto del 2010.

参考文献:
今野敏彦・藤崎康夫編著(1994)『移民史Ⅰ 南米編 増補』新泉社
(記事掲載2010/08/16 本当はスキャンした画像を添付したかったのですが、技術不足かアップロードできず、新聞を写真に撮って掲載します。)

9 August 2010

職員会議 2010/08/07

reunión de los profesores
7 de agosto, 2010
 8月7日、日本語学校で今年度最初の職員会議が開かれました。参加者は、現地の先生5人と日系社会シニアボランティア1人、そして私たち日系社会青年ボランティア3人です。この9人の教師に日本語学校卒業生のアシスタント教師2人を含めた11人が、この学校の教師全員です。今年度の行事予定や担当クラス決定などが議題です。
 私の担当は1年生クラスと成人クラス初級(入門の次のクラス)です。1年生クラスは昨年度から引き続き在籍する生徒が7人と新入生が数名の予定。子どものクラスは翌週土曜から、成人クラスは9月から開始です。 ドミニカ共和国の日本語学校では原則1学年を2年間履修し、6学年を9~12年間で卒業することが目安となっています。サントドミンゴ校は一昨年度まで子どもクラスは週1回でしたが、昨年度の1年生より試験的に週2回のクラスを開講し、今年度からは1、2年生のクラスは週2回が基準となります。
 後日、職員室の写真を掲載しようと思います。(記事掲載2010/08/09)(写真掲載2010/08/16)                 

活動開始 & 会長訪問 2010/07/28


comienzo de mi trabajo y visita al presidente de la Asociación Nacional de Japoneses
28 de julio, 2010
 7月28日より、待ちに待った活動開始です。午前中は日本語学校にてシニアボランティアの方と今年度の大まかな打ち合わせをしました。午後は日系人協会会長(ドミニカ移住訴訟時の原告団事務局長)を訪問し、これからの活動への激励を受け、また移住当時のお話を伺いました。
 写真は、私が勤務する日本語学校サントドミンゴ校です。校庭には小さいながらもバスケットコートがあり、1階に事務所と教室3つ、2階に職員室と教室3つの配置です。
 また、写真には写っていませんが、地方から上京して首都の大学に通う学生のための寮が併設されています。孫引きですが、1981年2月22日朝日新聞の記事によれば、この寮は国際協力事業団(現在の国際協力機構JICA)から3800万の予算で寄贈されたものだそうです。寮の設計は8歳の時に両親と移住してきた建築家の曽根誠さんとのこと(上田1988:181-182)。

参考文献:
上田秋助(1988)『アディオス・ミ・サント・ドミンゴ―欺かれた一ドミニカ移住者の記録―』南の風社
(記事掲載2010/08/09)

着任式 2010/07/27

Presentación Oficial de Nuevos Voluntarios Nikkei
27 de julio, 2010
 7月27日はJICA事務所において着任式が行われました。
着任式には日系人協会副会長、日本語学校運営部部長、同副部長、サントドミンゴ校父母会会長が来てくださいました。今回の日系社会青年ボランティアは、3名全員が首都のサントドミンゴ校に勤務します。
 着任式の後、それぞれの下宿先に送ってもらい、いよいよ翌日から活動開始です。


写真はJICA事務所があるTorre Empresarialです。
(記事掲載2010/08/09)

2 August 2010

南西部移住地視察: ドゥベルヘ、ネイバ 2010/07/10

La visita a las colonias japonesas: Duverge y Neyba
10 de julio, 2010
 7月10日、ドミニカ共和国南西部のドゥベルへとネイバという町にある日本人移住地跡を訪ねました。この国に8か所ある日本人移住地のうちの2つです。 朝7時にJICA事務所へ集合し、2台の車へ南西方面へ。海沿いを走りぬけて3時間半、ひとつめの視察地、ドゥベルへに到着しました。(具体的な場所は下のビデオ、または記事末尾のリンクlocationを参照ください。)

ドゥベルヘ
 このドゥベルへの日本人移住地は、町の中心から少し離れた所にありました。乾燥した空気の中に、移住者の当時の家が整然と残っています。この家々には今では現地の人が住んでおり、地元の人がかつて住んでいた移住者の記憶を話してくれました。
 ドミニカ共和国への日本人移住は1956~1959年に実施されましたが、ドゥベルへの移住は1957 年に第一次、第二次、そして1958年に第三次移住が実施され、計37家族155名がこの地に到着しました(高橋1987:78)。しかし、ここの土地は塩分を多量に含んでいたうえ、約束された水路の整備も実現されず、移住者たちは満足した農業を営むことなく1959年により内陸のハラバコアへの再移住を余儀なくされたそうです(今野・高橋編1993:39-40)。



ネイバ
私たちはドゥベルヘを後にして、ここより少し北に位置するネイバへ向かいました。ネイバの移住地はドゥベルへよりも比較的緑の多い土地にありましたが、ここでも移住者たちには想像を絶する苦労が待っていたようです。
ネイバへの移住は1957年に第一次、1959年に第二次が実施され、移住者は計24家族87名(高橋1987:78)。この地への移住は当初野菜栽培を目的にされたものでしたが、石ころだらけの土地では野菜を育てるどころではなかったそうです(今野・高橋編1993:35-40)。試験的にブドウ栽培を始めた移住者もいたようですが、この地から大使館や海協連(日本海外協会連合会、当時移住事業を扱っていた団体で現在のJICAの源流)への訴えの声があがったということです。こうして実現されたのが1961年の集団帰国です(高橋1987:96)。
このネイバ移住地にも日本人はもう住んでいませんが、わずかにブドウ栽培の様子を見ることができ、今ではブドウ栽培の地として知られているようです。

参考文献:
今野敏彦・高橋幸春編(1993)『ドミニカ移民は棄民だった―戦後日系移民の軌跡―』明石書店
高橋幸春(1987)『カリブ海の「楽園」―ドミニカ移住三十年の軌跡―』潮出版社

次のビデオは語学研修の最終発表会(7月26日)のために作成した視察報告です。スペイン語のみですが、移住地の写真を見ることができます。



corrección: De la página ocho, los que imigraron de nuevo a otros países no fueron 33 familias, sino 70(Konno y Takahashi 1993:27).

JICA事務所よりブログ公開の許可をいただきましたので、改めてブログをスタートします。載せて欲しい情報やトピック等ありましたらコメント欄にお願いします!(公開2010/08/02)

25 July 2010

ブログを始めます。

iniciación de mi nuevo blog
こんにちは!ブログを始めることにしました。ドミニカ共和国のJICA日系社会青年ボランティア、日系日本語学校教師の活動を紹介していこうと思います。
2010年6月22日にドミニカ共和国に到着てから1か月が経ち、今日で研修が終わります。
このブログでは、日本語教師としての活動や日系社会の現在の様子、ドミニカ移住の歴史などをお伝えしていきたいと思っています。
充実したブログを作りたいと思っているので、どうぞお楽しみに。