17 January 2011

他校訪問:ダハボン 2010/11/19

visita a la escuela del interior: Dajabón
19 de noviembre, 2010

昨年11月19日、出張でダハボン校を訪問しました。ダハボンは、ドミニカ共和国北部のハイチ国境に隣接し、1956年に始まった日本人のドミニカ移住の最初の入植地です(地図は記事末尾のリンクをご参照ください)。
ダハボンでは、まず最初に移住地ラ・ビヒアにある移住記念碑を訪れ、共同墓地へお墓参りしました。この移住記念碑は、移住25周年を記念して日系の方々が建立したものです。右側の「建立の辞」は、表に日本語、裏にスペイン語で表記されています。以下、その記述を引用してご紹介します。


--------------------以下、引用--------------------
建立の辞

日本ドミニカ共和国間の移住取極により一九五六年七月二九日ブラジル丸にて第一陣がこの地に入植す 以来第八次まで一三二五名が八か所に分散入植せるも 集団帰国転住など種々歴史的経緯を経て 残留者二七六名 この国にあってよく苦難の道を切開き 移住初期の目的今ようやく達成せんとす とき早くも二十五星霜を経る この意義深きときに当り我が苦悶の足跡を一基の碑に託さんと移住者総意の浄財奉仕を以て之を建立す
未来を開く子孫よ 我らが老骨を礎となし誇りある日本民族の血を以て限りなき発展を図り 君らが母国ドミニカ共和国の繁栄に寄与されん事を願う
一九八一年七月二九日


PALABRAS CON MOTIVO DEL DESVELIZAMIENTO
Amparado por el acuerdo gubernamental suscrito entre la Rep.Dominicana y el Japón la primera delegación de inmigrantes japoneses cruzan los dos oceanos y arriba a tierra dominicana el día 29 de julio de 1956. Se realiza desde entonces, el asentamiento de 1325 inmigrantes distribuidos en ocho localidades diferentes para contribuir al desarrollo de la agricultura dominicana. Mas sin embargo, el retorno masivo al Japón de la mayoría de ellos se produce, como un acontecer historico. Sólo 276 permanecen en el país y se enfrentan a incalculables vicisitudes para mantener su meta inicial. Cinco lustros han transcurrido, y hoy , día tan conmemorativo, queda desvelizado este monumento con el deseo y participe unanime de todos los inmigrantes japoneses y sus descendientes, como simbolo y testimonio de sus esfuerzos y luchas constantes por la vida.
   Hijos que prometen el porvenir; surgidos de esos arboles sexagenarios, y con el espíritu en alto de llevar en sus venas, sangre japonesa no escatimaos vuestros esfuerzos para el progreso y la prosperidad de vuestra patria la Rep. Dominicana.
    29 de julio de 1981
--------------------以上、引用--------------------

 お墓参りの後、ハイチ国境を見学しました。ハイチとの国境は町の西側を流れるマサクレ川です(写真はハイチ沿岸のマサクレ川)。橋の真ん中に入国審査の扉が設置され、扉の向こうにはドミニカ共和国に入国しようとする人々で混雑していました。
ハイチはラテンアメリカで初めてヨーロッパからの独立を成し遂げた国ですが、現在は世界の最貧国のひとつ。2010年1月のハイチ地震以降、ドミニカ共和国への出稼ぎ労働者が増加したとのことで、その入国の様子を国境見学で垣間見ることができました。

午後は、日系の方の自宅で開講されている日本語の授業の見学です。今回は、午後1時から3時までの2時間の授業を見学しました。学習者は3年生2名、4年生1名で、教師はサンティアゴ校を兼任している日系社会青年ボランティア。異なるレベルの学習者に対して、複式ではなく単式の授業を展開し、レベルに応じてタスクの難易度を考慮している点が参考になりました。

今回のダハボン出張では、授業見学の他に、上に書いたように移住記念碑と共同墓地、そしてハイチ国境の訪問が実現でき、とても考えさせられることが多かったです。移住者が自分の手で生活を切り開いた地を訪問することは、自分の活動の意味を捉えなおす視点を与えてくれるものだと思います。

No comments:

Post a Comment