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29 March 2012

テレビ番組「世界の村で発見!こんなところに日本人6」

programa de televición "¡Encuentros en pueblos del mundo! Aquí están japoneses"

3月27日(火)のテレビ朝日の番組にドミニカ共和国が出たと教えてもらいました。ネット上で動画を見つけたのでリンクを貼ってみます。ウガンダ、ラオスに続いて3番目に登場するのが、ドミニカ共和国(70:40あたりから)。


うーん、なんとも見ていて面白い!首都サントドミンゴを出て最初のバスの経由地点バラオナが、今私の住んでいるところです。そして、2度目の経由地点、アグアスネグラスの麓の町ペデルナーレスが、毎週授業をしているところ。アグアスネグラスに住むおじいさんの曾孫たちが私の生徒です。子どもたちはスペイン語を母語として育っているのですが、おじいさんのことは「じいちゃん」と呼んで慕っています。ちゃんと動画をダウンロードできたら、子どもたちに是非見せたいです。(アグアスネグラスの地図は、記事末尾のリンクから。)


番組では出ませんでしたが、バラオナとペデルナーレスを結ぶカリブ海沿いの景色はとても素晴らしいです。バスから眺めるこの絶景にいつも心が洗われる思いです。写真は、アグアスネグラスで収穫したコーヒー豆を荷台いっぱいに積んだダイハツのトラック(タイヤを交換中!)。 
(掲載2012MAR29)

テレビを見ただけでは、南部地方の素晴らしいところまでは伝わりにくいので、バラオナ県、ペデルナーレス県の観光ビデオをブログ左側に追加してみました。女の人が歌っている場面がバラオナ、男の人の場面がペデルナーレスです。魅力的な自然がいっぱいです。
(補足掲載2012MAR31)

17 January 2011

他校訪問:ダハボン 2010/11/19

visita a la escuela del interior: Dajabón
19 de noviembre, 2010

昨年11月19日、出張でダハボン校を訪問しました。ダハボンは、ドミニカ共和国北部のハイチ国境に隣接し、1956年に始まった日本人のドミニカ移住の最初の入植地です(地図は記事末尾のリンクをご参照ください)。
ダハボンでは、まず最初に移住地ラ・ビヒアにある移住記念碑を訪れ、共同墓地へお墓参りしました。この移住記念碑は、移住25周年を記念して日系の方々が建立したものです。右側の「建立の辞」は、表に日本語、裏にスペイン語で表記されています。以下、その記述を引用してご紹介します。


--------------------以下、引用--------------------
建立の辞

日本ドミニカ共和国間の移住取極により一九五六年七月二九日ブラジル丸にて第一陣がこの地に入植す 以来第八次まで一三二五名が八か所に分散入植せるも 集団帰国転住など種々歴史的経緯を経て 残留者二七六名 この国にあってよく苦難の道を切開き 移住初期の目的今ようやく達成せんとす とき早くも二十五星霜を経る この意義深きときに当り我が苦悶の足跡を一基の碑に託さんと移住者総意の浄財奉仕を以て之を建立す
未来を開く子孫よ 我らが老骨を礎となし誇りある日本民族の血を以て限りなき発展を図り 君らが母国ドミニカ共和国の繁栄に寄与されん事を願う
一九八一年七月二九日


PALABRAS CON MOTIVO DEL DESVELIZAMIENTO
Amparado por el acuerdo gubernamental suscrito entre la Rep.Dominicana y el Japón la primera delegación de inmigrantes japoneses cruzan los dos oceanos y arriba a tierra dominicana el día 29 de julio de 1956. Se realiza desde entonces, el asentamiento de 1325 inmigrantes distribuidos en ocho localidades diferentes para contribuir al desarrollo de la agricultura dominicana. Mas sin embargo, el retorno masivo al Japón de la mayoría de ellos se produce, como un acontecer historico. Sólo 276 permanecen en el país y se enfrentan a incalculables vicisitudes para mantener su meta inicial. Cinco lustros han transcurrido, y hoy , día tan conmemorativo, queda desvelizado este monumento con el deseo y participe unanime de todos los inmigrantes japoneses y sus descendientes, como simbolo y testimonio de sus esfuerzos y luchas constantes por la vida.
   Hijos que prometen el porvenir; surgidos de esos arboles sexagenarios, y con el espíritu en alto de llevar en sus venas, sangre japonesa no escatimaos vuestros esfuerzos para el progreso y la prosperidad de vuestra patria la Rep. Dominicana.
    29 de julio de 1981
--------------------以上、引用--------------------

 お墓参りの後、ハイチ国境を見学しました。ハイチとの国境は町の西側を流れるマサクレ川です(写真はハイチ沿岸のマサクレ川)。橋の真ん中に入国審査の扉が設置され、扉の向こうにはドミニカ共和国に入国しようとする人々で混雑していました。
ハイチはラテンアメリカで初めてヨーロッパからの独立を成し遂げた国ですが、現在は世界の最貧国のひとつ。2010年1月のハイチ地震以降、ドミニカ共和国への出稼ぎ労働者が増加したとのことで、その入国の様子を国境見学で垣間見ることができました。

午後は、日系の方の自宅で開講されている日本語の授業の見学です。今回は、午後1時から3時までの2時間の授業を見学しました。学習者は3年生2名、4年生1名で、教師はサンティアゴ校を兼任している日系社会青年ボランティア。異なるレベルの学習者に対して、複式ではなく単式の授業を展開し、レベルに応じてタスクの難易度を考慮している点が参考になりました。

今回のダハボン出張では、授業見学の他に、上に書いたように移住記念碑と共同墓地、そしてハイチ国境の訪問が実現でき、とても考えさせられることが多かったです。移住者が自分の手で生活を切り開いた地を訪問することは、自分の活動の意味を捉えなおす視点を与えてくれるものだと思います。

24 October 2010

他校訪問:ハラバコア、ラベガ 2010/09/28-29

Visita a las escuelas del interior: Jarabacoa y La Vega
28 y 29 de septiembre, 2010
9月28・29日は、出張で他校を訪問しました。ドミニカ共和国中央部に位置するラベガ州のハラバコア校とラベガ校です(記事末尾のリンクに地図を示したので、参照ください)。

(1)ハラバコア Jarabacoa
 28日朝サントドミンゴを出発しバスで2時間弱、ハラバコアに到着しました。昼食を食べてから、日本庭園Parque japonésと日本人移住地跡を見学しました。もともとの農業移住地であるハラバコアでは、2007年のドミニカ移住50周年を記念して、日本庭園が建設され、また、ハラバコア市から移住家族の名前の街路表示が贈られました(嶽釜編2009:174-176)。


 



日本庭園は通りの真ん中に位置し、大きくはありませんが、鳥居や移住家族の名前の記された記念碑、灯篭、橋、池などが配置され、趣のある造りになっています。設計デザイナーは、日高玲子さん。移住家族の名前の街路表示は全部で6つあり、それぞれ"CALLE FAMILIA ○○"(○○家通り)と示されています。

 ハラバコアの日本語学校の授業は、この日本人移住地の外れの「ハラバコア友好会館」で行われています。今回は、火曜午後の4人の授業を見学しました。こちらの学校にも日系社会青年ボランティアが配属され授業を行っています。私の所属するサントドミンゴ校とは違って、異なるレベル、異なる年齢の学習者が一緒に学ぶので、ともに学べる協働的な活動を取り入れたり、複式で授業を行ったりと工夫していることがわかりました。


(2)ラベガ La Vega
ハラバコアの授業見学の後、ボランティアの先生と一緒にラベガへ移動しました。こちらの先生はハラバコア校とラベガ校の両方を担当しており、週に数回両校を往復しています。ラベガではホテルで一泊し、翌29日にラベガ校の授業を見学しました。ラベガはもともとの農業移住地ではありませんが、日系の家族が多く住んでおり、日本語学校が開校されています。現在公民館が建設中とのことで、それが完成するまで日系人のお宅を借りて授業を行っているとのことです。この日は9人の学習者が出席しており、低学年と高学年にクラスを分けて、日系人の助手の先生と2人で授業を行っていました。低学年クラスと高学年クラスの協働活動もあり興味深かったです。

今回の他校訪問を終えて、それぞれの学校にはそれぞれのスタイルや方針があるのだということを再認識しました。例えば、父母会との付き合い方ひとつをとっても、サントドミンゴとは異なる面があります。ラベガとハラバコアの間にも違いがあることがわかりました。他の学校を見学するのは、自分の活動を振り返ったりドミニカ共和国全体の視点で日本語学校を捉え直す大変いい機会になったと思います。


参考文献:
嶽釜徹編(2009)『ドミニカ共和国日本人農業移住者50年の道 青雲の翔』ドミニカ日本人移住50周年記念祭執行委員会記念誌編纂委員会

2 August 2010

南西部移住地視察: ドゥベルヘ、ネイバ 2010/07/10

La visita a las colonias japonesas: Duverge y Neyba
10 de julio, 2010
 7月10日、ドミニカ共和国南西部のドゥベルへとネイバという町にある日本人移住地跡を訪ねました。この国に8か所ある日本人移住地のうちの2つです。 朝7時にJICA事務所へ集合し、2台の車へ南西方面へ。海沿いを走りぬけて3時間半、ひとつめの視察地、ドゥベルへに到着しました。(具体的な場所は下のビデオ、または記事末尾のリンクlocationを参照ください。)

ドゥベルヘ
 このドゥベルへの日本人移住地は、町の中心から少し離れた所にありました。乾燥した空気の中に、移住者の当時の家が整然と残っています。この家々には今では現地の人が住んでおり、地元の人がかつて住んでいた移住者の記憶を話してくれました。
 ドミニカ共和国への日本人移住は1956~1959年に実施されましたが、ドゥベルへの移住は1957 年に第一次、第二次、そして1958年に第三次移住が実施され、計37家族155名がこの地に到着しました(高橋1987:78)。しかし、ここの土地は塩分を多量に含んでいたうえ、約束された水路の整備も実現されず、移住者たちは満足した農業を営むことなく1959年により内陸のハラバコアへの再移住を余儀なくされたそうです(今野・高橋編1993:39-40)。



ネイバ
私たちはドゥベルヘを後にして、ここより少し北に位置するネイバへ向かいました。ネイバの移住地はドゥベルへよりも比較的緑の多い土地にありましたが、ここでも移住者たちには想像を絶する苦労が待っていたようです。
ネイバへの移住は1957年に第一次、1959年に第二次が実施され、移住者は計24家族87名(高橋1987:78)。この地への移住は当初野菜栽培を目的にされたものでしたが、石ころだらけの土地では野菜を育てるどころではなかったそうです(今野・高橋編1993:35-40)。試験的にブドウ栽培を始めた移住者もいたようですが、この地から大使館や海協連(日本海外協会連合会、当時移住事業を扱っていた団体で現在のJICAの源流)への訴えの声があがったということです。こうして実現されたのが1961年の集団帰国です(高橋1987:96)。
このネイバ移住地にも日本人はもう住んでいませんが、わずかにブドウ栽培の様子を見ることができ、今ではブドウ栽培の地として知られているようです。

参考文献:
今野敏彦・高橋幸春編(1993)『ドミニカ移民は棄民だった―戦後日系移民の軌跡―』明石書店
高橋幸春(1987)『カリブ海の「楽園」―ドミニカ移住三十年の軌跡―』潮出版社

次のビデオは語学研修の最終発表会(7月26日)のために作成した視察報告です。スペイン語のみですが、移住地の写真を見ることができます。



corrección: De la página ocho, los que imigraron de nuevo a otros países no fueron 33 familias, sino 70(Konno y Takahashi 1993:27).

JICA事務所よりブログ公開の許可をいただきましたので、改めてブログをスタートします。載せて欲しい情報やトピック等ありましたらコメント欄にお願いします!(公開2010/08/02)